目標を「子どもが学校に行くこと」にはおかない方がよい

目標を「学校に行くこと」においていると、学校に行けない限り、話が先に進まないことになります。本当の問題は何かということです。

もし本当の問題が解決しないまま、学校に行けてしまったら、解決を先延ばししただけなので、その後の進学先や、就職先でまた問題がぶり返すことがあります。

学校には行けるようにならなくても、真の問題が解決すれば良いのです。

私の体験からいくと

子どもが不登校になってから何冊か、不登校についての本を読みました。最初に読んだ2冊には、どうしたら元気を取り戻して学校にいけるようになるか、書いてありました。

うちの子は家や適応教室で楽しく過ごして、元気を取り戻し、学期や学年の切り替え時に、学校に復帰しました。復帰した最初は、うまくいったような感じでしたが、だんだんと歯車が狂ってきて、結局2ヶ月位でまた行けなくなりました。結局、それを3回繰り返しました。3回目に学校に行けなくなったときに、学校に戻すのを私が諦めました。

親としては、学校へ戻れたとき、やっと解決したと思いました。しかし、毎回、2ヶ月ほどでまた不登校になり、そのたびに昼夜逆転を治すところからやり直しました。

今となって省みるに。子どもの不登校問題の解決方法として、「学校に行けるようになる」ことを目標にしていたこと。そのこと自体が間違っていたのだと思います。

子どもの人生において、本来、学校というものは、立派な自律した社会人となるための勉強をしに行くものであり、学校に行くこと自体が目標ではありません。もし学校に行けなかったら、社会人になるための勉強には別の手段を取ればよいのです。

私は、学校そのものを否定はしません。不登校について書かれた本(最初の2冊でない本)の中には、学校の存在そのものを否定するような内容のものもありましたが。「あのぶどうは酸っぱかった」的な感じがしました。学校は、社会でそれなりに働ける人材を、比較的「経済的に、効率的に」育て上げる仕組みであることは確かなのです。

しかし大勢の同年代の子をまとめて育て上げようという仕組みなので、それに合わない子というのは、当然出てきます。

学校という集団でうまく育つことのできない子は、無理にその集団に入れようとしないで、まずはその子にあった環境を探した方がいい。

その子に合った環境で育つことによって、大きくなるにつれ、学校集団に入れるようになることもあります。

決して学校に行かせてはならないというわけではありません。やはり、学歴的なことも考えると、学校に行かせた方が、社会で生きていく上では有利になる面もあります。戻りたい&戻れるのなら、戻ってもいいのです。

でも、社会に出るためには、どうしても学校に行かせなければならないというわけでもありません。同年代の子が大勢いる中でうまくやっていく能力が必要というわけではないのです。そういう子はそういう能力のいらない仕事や職場を探せばいいわけですから。

社会で働くために必要な能力というのは、「自分の置かれた場所で、自分のできることを精一杯することができる」ということ。学校に行っても行かなくても、その能力はつける必要があります。

「学校に行く」ことにこだわって、その能力をつける機会を失ってしまうことの方が損失は大きいのです。

「学校に行くこと」を目標にしてしまうと、見えてこないことがあります。あくまで「社会に出ること」を見据えて、子どもが今何をしたらいいのかを、親は考える必要があります。

社会では、理不尽も多々ある中で、自分を見失わないようにしながら、一方で折り合いもつけてうまく生きてゆくことが求められます。

学校はその練習の場であるわけなのですが。
もし行けなかったとしても、他のところで、それを学べばいいいのです。

コメント